その門を見た時、ルクレツィアは胃の中から込み上げてくる気持ち悪さに吐きそうになる。忘れていたかった、一生思い出したくなかった。それでも記憶に焼き付いていたこの大きな門とその門に描かれた兎のような紋様をルクレツィアは忘れることが出来なかったのを思い知らされる。吐き気に耐えながら深呼吸をして、酷く重たい足を前に動かして門番の前に立った。
「何か用か?」
ルクレツィアはフードを外して門番に手紙を差し出した。フードを外したルクレツィアを見た瞬間、驚いた顔をした門番は急いで手紙を確認すると「少しお待ち下さい」といい中に入っていった。その待っている時間は5分となかったはずだが、ルクレツィアは酷く長い時間と精神的なものから来る目眩や吐き気と戦っていた。少しすると門番が戻ってきた。
「中へどうぞ。ご案内します」
開かれたその門を跨ぐ前にルクレツィアの脳裏に過ぎったのは、星屑の街だった。未だ綺麗とは言い難い街だが、それでもその街に住む子供たちが何度も何度も壊されながらも作り上げた努力の結晶の街。
(もう一度、あの街へ……帰りたい)
そう思うだけで冷えきっていた身体が少しだけ暖かくなった気がした。大丈夫だとルクレツィアは信じることにした。味方もおらず地下牢に独りで閉じ込められてたあの時とは違う。沢山の人とルクレツィアは会ってきた。もう1人では無い。きっと何かあれば真っ先に駆けつけてくれる仲間と、大切な人たちがいる。そう思いながら、ルクレツィアは二度と跨ぐことはないと思っていたその門を跨いで、中へと足を踏み入れた。
(ああ……嫌なほど私は覚えている)
敷地内にある屋敷の図面が頭の中で描かれるように、ルクレツィアは自分がどこに案内されているのか予想が着いた。客間では無く居間への道を歩いている。その時点でルクレツィアは向こうが何を考えているのかある程度察してしまった。
(怖い………でも…)
ルクレツィアはこの敷地内に足を踏み入れた時点で自分の目的のものがここにあることを確信していた。昔は感じることが出来なかった自分の魔力に溶けることなく、纏わりつくようなそれでいて酷く重い耳をあげることが出来ない原因の魔力に似通った気配がこの敷地内から気持ち悪いほどに感じているのだ。ルクレツィアの記憶があっているならばこの家の地下には星晶獣「トゥツィ」が眠っていると言われているが、その話が本当であることをルクレツィアは確信する。だからこそ、ルクレツィアはここで簡単に引き下がる訳にはいかなかった。トゥツィに会うことが今の自分の強さを突破する鍵になると思ったからだ。
考え事をしているうちに居間にたどり着いたようで、案内してくれた門番は扉を開けて「どうぞ」と中へと促した。ルクレツィアはゆっくりと深呼吸をしてから中に入ると静かに扉が閉められた。
「久しぶりねシェイア」
その声にルクレツィアの背筋がどれほど凍っただろうか。自然とルクレツィアの呼吸が浅くなったが、ルクレツィアは震えたくなる身体を抑え顔を上げた。
「二度と顔を見る事は無いと思っていました……当主様」
自分の声は震えていなかっただろうかとルクレツィアは思う。しかし、今は気丈に振る舞うしか無かった。そうでもしないと本心では泣き叫びたい気持ちが表に出てきそうだったからだ。ルクレツィアをシェイアと呼んだ人物は、美しい銀髪に赤い瞳の綺麗な女性であったが、ルクレツィアが覚えのある顔より少し老けただろうか。───仮にも自分の母であったはずの女性にルクレツィアはそんなことを思った。
「ふふ、私はもう元当主よ。今の当主は…」
「──お久しぶりですお姉様」
聞き触りのいいトーンの高い声にルクレツィアの背筋が先程よりも凍る。一瞬本当に心臓が止まったかと思うほど、息の仕方を忘れそうになった。それでもゆっくりその声の方へ顔を向ければ、幾分か成長はしているものの見覚えのある少女がそこに座っていた。
「………ソレーユ」
「まあ、私の名前まだ覚えてくださったのね!さあ、お姉様そちらに早く座って」
花のような笑顔を見せるソレーユにルクレツィアは逆に渋い顔をする。久しぶりに見た実妹であるソレーユは相変わらず見た目だけはとても美しい人であると感じる。しかし、ルクレツィアは目的を果たしに来たのだ。ここまで来て今更引き下がる訳には行かない。ルクレツィアは大人しくソレーユの前に座り、静かに呼吸を整え前を見据える。
「ルア・シェイアは、あの日この門の先へ追い出され死にました。今の私はただの一般人であるルクレツィアと申します」
自分で口から出た言葉にルクレツィアは何故か納得する。そうだ。確かにこの家を追い出されたあの日に、シェイアとして生きてきた人生は終わったのだ。そして名もないただのエルーンとなり、さ迷い続けた先に───私は彼らと出会った。
「まぁ、お姉様。そんな寂しい事仰らないで」
「御用件は何でしょうか?当主様」
ルクレツィアは自分でも驚くくらいに低い声が出た。そして、目の前の人物達に対して案外心が通っていないことに気がつく。ずっと他の人の言葉を認められないのは、自分が捨てた家族に対して執着しているのだと思っていた。1度は彼らに愛され、そして無情に捨てられた事から、自分自身が彼らを愛していて捨てられたのを認めたくないから、もう一度彼らに認めて欲しいと言う欲を捨てられないせいだと今まではルクレツィアは考えていた。しかし、違う。違っていた。とっくの昔に彼らへの情など、愛など、私は捨てていたのだ。だって、血が繋がらずとも心を通わせられる人達が私にはいるのだから。
「もうっ、お姉様は頑固ね。私、いえ、私達からの要件はただ1つよ」
拗ねたように頬をふくらませながらも、ソレーユは厳格な顔を見せた。
「ここ数年になってある噂が耳に入ったわ。多彩な武器を魔法で創り出して戦う長い耳が垂れたエルーンの少女がいるって話よ。最初聞いた時は別人だと思ったわ。まさか生きているなんて思わなかったもの」
それを聞いてルクレツィア以外のものは笑った。ルクレツィア自身は何を反応することも無く、ただ黙ってソレーユを見つめている。
「噂は噂だけど、黙って見ている訳にもいかなかったから、調べたら有名な騎空団に所属したって情報を貰ったわ。そして、姿絵を貰った時本当にお姉様だって知ったの。……ねぇ、お姉様。ルア家はお姉様がいた頃に比べて勢力が大きくなったわ。身内で運営してることもあって人手が足りないの。だから、あんな安定しない職業の騎空士なんかやめて、うちに戻ってきて運営手伝っ「絶対嫌よ」
ソレーユが言い終わる前に、ルクレツィアは先に口が出た。そして、彼の言葉を思い出す。
「命の危険も伴うし、依頼がないと成り立たないし、団長としてやることも一杯だけど、この広い空を自由に飛んでたくさんの人達と出会える騎空士って職業が俺は大好きなんだ。騎空団のみんなにも出会えたからね」
そう言って笑った彼だったからルクレツィアは彼の手を取ったのだ。その自由で、太陽のように眩しく、それでいて暖かい彼だから、ルクレツィアは頼れたのだ。あの人に持っている感情とはまた違う感情ではあるが、ルクレツィアにとっても大切な人。もう一度人の温かみを教えてくれた人。
「私、あの騎空団が、所属している団員さん達が、団長のことが大切だわ。役立たずなんて理由で、理不尽に暴力振るって、まともな食事も食べさせてくれなかったこんな家なんかよりもずっと大切。それに……」
この豪華な家なんかよりも、ずっとボロくて寒くて暑くて継ぎ接ぎだらけの家だけど、帰りたい場所が私にはある。
「───ふふっ、あははっ!」
「な、なんで笑っているのよお姉様!!」
今更、やっと、やっと確信ができた。ようやく私は彼らの言葉を心の底から肯定することが出来る。
「あなたなんかに姉なんて呼ばれたくないわ。あなたは私の家族なんかじゃない。私はもうシェイアじゃない。ルクレツィアよ。二度と家族扱いしないで」
思った以上に低い声でそう告げたルクレツィアに、ソレーユは何故か恐怖を感じた。今までソレーユは姉を怖いと感じたことは無かったのだ。しかし、今目の前にいる人が本当に自分の姉であるシェイアなのか、と思ってしまうほどである。
「私の事、使い捨ての道具くらいにしか思ってないでしょう?そんな風に思われているなら手を貸せと言われても、貸すのも御免だわ。帰ります」
ルクレツィアが立ち上がると、怒るように母親が机を叩いた。その瞬間、ルクレツィアの中にあるトラウマがゾワッと身体中を駆け巡る。
「アンタみたいな役立たず誰が他に必要とすると思ってるのよ!!」
その言葉にルクレツィアは胸が締め付けられるような気がした。そんなこと自分が1番思っていたからだ。こんな役立たずで、出来損ないで、弱い私に生きてる価値なんであるのだろうかと何十回、何千回、何万回自問自答しただろうか。その言葉に苛まれて死のうと思ったことすら何度もある。それでも今、ルクレツィアが生きている理由がある。この世に留まっている理由がある。
こんな私を必要としてくれた人たちがいた。ルクレツィアがその言葉をどれだけ信用出来なくても、必要だと言ってくれる人たちがいるのだ。今はもういない星屑の街の兄姉と呼ばれていた長子達や歳下の子達、カトルとエッセル、ルクレツィアを指名してくれた依頼主達や街の人たち、そして騎空団の人たち、団長やルリア。今はもう会えない人も沢山いるがそれでもルクレツィアにとっては必要な出会いだった。それにこんなルクレツィアを好きだと言ってくれた人がいる、選んでくれたあの人がいる。だからもう───その瞬間、ルクレツィアの胸の中にずっと突き刺さっていた何かが弾け飛んだ気がした。
「いるわ、絶対に。あの人達は私を捨てたりなんかしない!!」
「もういいわ!!強制的に捕らえなさい!!」
ソレーユがそう言った瞬間、周りにいた人たちが武器を手に立ち上がる。しかし、ルクレツィアはそれよりも早く扉を開けて広い庭に飛び出し、魔法武器の槍を精製した。それは友人の隣に立つために頑張っていた彼の物だ。
「力を貸してッ…ヴェインさん!」
飛んできた魔法をルクレツィアは大振りで振り回すことで相殺する。ルクレツィアは使い手を完全に真似ができる訳では無い。それでも、1度見せてもらった技は、魔法は、武器は手に取るようにルクレツィアの中に残っている。剣を持って襲いかかってくる奴らを目にして、ルクレツィアは槍から手を離す。槍が空中で砕け散るとルクレツィアの手の中には、二刀の刀が収められていた。
あの人はハーヴィンでありながらもその体格差を生かし、剣豪とまで言われていた。才能がある訳では無いルクレツィアの事もずっと見てくれた優しい釣り好きの老人。
「ヨダ爺…っ」
彼の速さも、鋭さも全てルクレツィアには真似することは出来ない。しかし、敵の裁き方ならルクレツィアにだって真似できる。近くによってきた敵を倒せば、遠くからまた魔法の気配がする。またルクレツィアが武器から手を離し、手に収められていたのは2丁の拳銃だ。その弾丸は彼方まで届いているように、何者の隙を見逃さず、急所を狙い撃つ。全空でも最強と言われるその銃の腕前を何度ルクレツィアは羨んだだろうか。追いつけはしないが、それでも追いかけたい人。
「エッセルっ」
狙える範囲の広範囲攻撃の敵に向かってルクレツィアは銃弾を放った。その弾に込められているのは、複数の魔法。爆発した瞬間を狙い、ルクレツィアは門へと走り出す。その間も迫り来る敵が見えていたルクレツィアは片手だけ銃を手放した。そしてその手に造られたのはあの人の短剣。ずっと精製したことがなかった彼の武器。
「カトル。お願い」
大切な2人の武器を握り締めたルクレツィアは、敵を一掃すると再び走り出す。大門の近くまで来た時だった。ルクレツィアは真横に弾き飛ばされた。
「っ?!」
ルクレツィアは咄嗟に受身をとるものの塀にぶつかり呻いた。右上半身が焼かれたような痛みが走る。ルクレツィアは痛みを堪えすぐに立ち上がった。
(今魔力を検知できなかった…ッ)
その魔法を放った主の方を向くとそこに居たのはソレーユだった。ルクレツィアはらしくもなく舌打ちをする。そもそもルクレツィアは"血族の魔力"を何故か感知しにくい。耳が垂れる前は問題なかったのだが、魔力がおかしくなってあとから"感知出来る物"が変わってしまった。1番近しい血を持つソレーユの魔力は特にルクレツィアには感知できないため、1番相手にしたくなかったために速攻で部屋の外に出たのだ。
「観念なさい」
「嫌よ」
ルクレツィアの言葉にソレーユの顔が歪む。それを見たルクレツィアは少しだけ悲しくなった。ルクレツィアは元々ソレーユの事を嫌いなわけじゃなかったのだ。大切なよく笑うかわいい妹だと思っていた頃も確かにあった。仲良かったあの頃のソレーユはもういないのだと、周りに影響されて「ルア家」の人間ななってしまったんだろうとルクレツィアは思う。しかし、今過去に囚われてソレーユに同情しここに留まる選択肢はルクレツィアにはもうなかった。ルクレツィアが家族と、"妹"と呼びたい子達はもう別にいる。
「諦めない」
短剣と銃をルクレツィアは構えた。たとえこの先ルクレツィアが負けたとしても、まだ希望はある。
(手紙、残してきてよかったわ。……団長かカトル達ならきっと気付いてくれる)
そして、ルア家に大きな爆発音が鳴り響いた。